平成25年6月号
集まりがあったとき、祝辞の声は鼻詰まりみたいで歯切れが悪く、ひとに見せられる芸もない。
そんなことで「どじょう掬いをうまく踊れたら」とずっと思っている。
最近思い出したことだが、最初の父は公務員を辞めてから、昼間はぶらぶら・夜中になると鼻に黒いマジックを塗り、鼻の穴に割り箸をさし、どじょう掬いを踊りながら帰って来た。
父親は厳格な研究者、離れで本に囲まれ、キャベツと煮干をミキサーでかき混ぜて飲み、生活の糧は、やり手の美容師の母に任す、「髪結いの亭主」の見本だった。こういう血筋、私のもとある性格は「どじょう掬い」がぴったりする。
私の母は、教会で英文タイプを習得し、タイピストとして活躍すると同時に、教会神父のアル中息子の親友「どじょう掬い」と結婚する羽目になった。
「どじょう掬い」が亡くなり裁判所に呼び出され、もちろん放棄し、上品そうに見える後妻さんから、(最期まで私の写真を持ち歩いていた)と聞いた、十年前の出来事は、今と同じ梅雨の中休みで、房総半島の中央に位置する地方裁判所は、田圃の中にあったような気がする。
児玉 智子
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