平成22年2月号
正月は宮本輝の本を数冊読み、今でも『錦繍』の生き続けることの感触を思い出したりします。
そういう気持ちで宮古島に行ったもんだから、皆が淡々とその場に馴染んで生きていることをみて、物すごく嬉しかった、持ち続けることができる感動をした。白髪が混じった「りーちゃん」がケーキを作る横顔は、頼もしかった。
帯広に嫁にいった友人の年賀状は、やっと「どさん子」になる心構えが出来た様子、これにも感動した。

『錦繍』での往復書簡の最終は、「いつまで書いていてもきりがなく、いよいよ筆を擱くときがきたようです。」
そうはいっても日常生活は変わりなく続いていきます。
母が付き合っていた人と私は、手紙のやり取りを長い間していて、今でも亡くなる数週間前にもらった手紙を読み返すことがあります。
母の小学校の同窓生だったTさんは、「小学校のときから母のことをどんなに好きだったか」から始まり「死ぬということ」で終わります。
地質研究に没頭していたTさん、「私の父がTさんだったらもっと頭が良かっただろうに。」と痴呆の母から云われるのも可笑しい。
児玉 智子
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