平成17年10月号
数年前、中国とラオスの国境近くにあるベトナムの小さな町を歩いていた。 山岳地帯なので夜は底冷えして霧に包まれる。夕方になると山の中から少女達が民族衣装のまま下りて来て外国人男性相手に商売をする。尋常の足どりではない少女達、商売が成立すると、私にウインクをした。
大航海時代のヨーロッパは、中国からお茶や絹製品など買いたい物がたくさんあった。しかし売る物がなく困って上質な阿片を生産するようになった。 日本に阿片戦争がなかったのが不思議だが、鎖国時代の日本は、長崎でオランダ船や清国船が交易をしていたので徳川幕府は外国の情報収集ができた。 それで清国がイギリスに負けたことはショックだったし、阿片とは恐ろしいと思ったのかもしれない。 結局、日英和親条約は日本に阿片を大量に持ち込むことはなかった。 しかし日本は日清戦争に勝利し、台湾を植民地にすると阿片の専売制に着手、満州国建国後も阿片の専売をする。 当時は、阿片生産販売国と消費国が明確に分かれていた。
児玉 智子
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