アーメド・アシルさんが10歳まで過ごしたエクラシュプール村は、バングラのダッカからメグナ川を船で3時間半下った場所だ。
BABU-KANO基金の横浜事務所で、アシルさんが作ってくれた本場のカレーを食べたあと、村役場に集まった子供達とモニターを見ながら、里親たちは自分の子供と会話を楽しんだ。
「イトウサン、元気ですか。僕は学校に行くのが楽しい。医者にナリタイ。」
「随分大きくなったね、12月に行くから待っていてね。」
里親となった人達は、今の教育現場にうんざりしている学校の先生が多く、モニターに写る真っ黒な瞳が「勉強をしたい、村人の役に立つ仕事がしたい。」と云っているのを聴いていると、経済最優先は人を助けることを忘れるなあと思った。
エリートコースは辞めカルカッタとバングラの旅に方向転換した人が、私の写真集を数十冊まとめて購入してくれ、私の暗く重たいモノクロ写真をえらく気にいってくれた。
その気持ちよさは、アシルさんの活動資金に充てることで増幅した。
九州大学で働くアシルさん、バングラのグラミン銀行の施設を使って双方向コミュニケーションツールを開発するという。
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