平成18年4月号
偏見とは、他人や他の集団にとって好意的でない、不利になるように眺め考え行動したり、感じたりする傾向 のこと、つまり「冷たい目でみる」「遠ざける」「確かめもしないで決めつける」・・・
私はデブに弱い、理由は簡単で小学校高学年の時の私の体重は64キロ、うすのろで馬鹿にされた。その時の自分を思い出すからだ。
人間は子供からおとなへの成長過程で、人間が生きていく中での決まりを守るために、欲求をコントロールすることを学んでいく。従って人間が生きていくことは欲求不満の連続である。そこで不満を解消する方法として 「忘れてしまうふりをする」や「代りの方法をみつける」 例えば資金繰りに苦慮している経営者が従業員を怒鳴るなどの行動をとる。
しかし偏見や差別は普遍的現象ともいえない。偏見を避けるためには、自分の中にある攻撃衝動を認め、それに 耐え(耐えてると思わない自我をつくる)憎しみのフリムケをしないことにある。
個人の自信や誇りは、自分が社会にとって有用だったり、貢献したいなどの見通しが、内面から湧きでてくるもの、権威主義的で他人を見下さなければならない人は、未熟さが偏見の心理を必要としていることになる。
最近はデブでいじめられていたことを忘れ、私が中学生のころ父と銀座で待ち合わせ、父の元同僚から「若くてキレイな彼女で羨ましいですなあ」なんて言われたことを思い出す。

児玉 智子
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