平成22年5月号
三ヶ月待ちでやっと京浜運河工場夜景のジャングルクルーズを堪能した。
横浜赤レンガ倉庫を夕方出航、大黒埠頭をくぐる辺りから無言の迫力に圧倒される。
20年ほど前のことになるが、「ヒト出し屋」を経営している会社があった。
労働者派遣法が整備されていない時代で右肩上がりの好景気、東扇島や浮島の工場や倉庫に毎日数十人の労働者を送り込む。
パソコンが普及し始めた頃、タイムカードを一元管理できる時代ではなかった。
どこの現場も要請人数を揃えることに四苦八苦、欠員があるとの苦情に扇島の冷凍倉庫に駆けつけ、発泡スチロールの箱の中で寝ているヒトを見つける。
業務量が急拡大、日払いの現金が足りなくて、事務所スタッフの財布からかき集めたりもした。
車に寝泊りお金が無くなれば働く、当時からニートはたくさんいた。
今と何が違っていたか、・・・・生きていればいい事がいっぱいに決まっている、そう思わせてくれるムードがあったのだと思う。
当時の京浜工業地帯は悪臭と鼠色の煤煙、これが生きる意欲にも繋がった。

闇夜の京浜運河は無臭無音、これも環境ビジネスのおかげです。
児玉 智子
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