平成25年2月号
中小企業経営革新支援の研修に出席した。
中小企業庁の設立は1948年、終戦で720万人が軍隊から帰り、400万人の軍需工場の労働者が失業、150万人が海外から引き揚げてきた。
国債以外に1000億円あった戦時補償債務はGHQの指示で打切り、金融機関の損失補てんのため国民の預金も封鎖され、慌てた吉田内閣は傾斜生産方式を開始した。
工業復興のため、石炭と鉄鋼の増産を集中的に傾斜するという意味です。
それが、今の原発反対まで脈々と続くことになります。

私は数人が集まって、黙々と自分の仕事をこなしていく姿を見ているのが好きだ。
自分の仕事が終われば、歩いたり自転者などで帰宅する、安野光雅が描く町の景色が浮かぶ。
頭の中では、まちづくりの策定の中に、小さな企業や商店があって、クリニックも介護施設も保育園もある。
中小企業庁の経営改善計画策定支援事業の補正予算は405億円、下請企業を救うことの意味合いも考えたいと思う。
誠実に働く人達が毎日5時間、より多くの人数が働けて、生活をしていける、そういう環境づくりがいいなと。
児玉 智子
令和
2年
令和
元年
平成
31年
平成
30年
平成
29年
平成
28年
平成
27年
平成
26年
平成
25年
平成
24年
平成
23年
平成
22年
平成
21年
平成
20年
平成
19年
平成
18年
平成
17年