平成24年2月号
成人の日(1月15日だと思い続けていた)、口頭試問が始まる15分前に会場に到着、タイムキーパーさんが私を探し回っていた様子、頬っぺたが火照る、こういう時に限り母がデイサービスに行かないと騒ぐ。

在籍期限が迫る年末ぎりぎりに論文を提出、担当教授に「児玉君は研究テーマが毎年変わり、その度に考察がたりない、引用文献の記述方法が良くない」指摘通り、6年前は大志を抱きカンボジアのポルポト政権崩壊後の陶芸技術継承を調べるため、カンボジア国立美術大学の窯業研究室に取材に行く。大学の廻りに仏像を売る店が多く、みんなこの学校の卒業生だったことに驚いた。
その頃に母の痴呆初期症状の鬱が始まり、それなら母を沖縄宮古の介護施設に連れて行けば明るさを取り戻すだろうと思い、宮古で一人暮らしのお年寄りの家を社協で働く島尻さんに連れられ訪問、それを論文にする予定だった。
そのころから私は出張があっても日帰りしなければならず、今は遠くの仕事をしなくなった。
京都の高瀬川近くで旨いものを食べ、夜8時半の新幹線で戻れば何とかなると思うと、「とんちゃんが居なくなった」と携帯がいう。

3年間通った横浜黄金町、『まちづくりが住民を育てる-横浜黄金町まちづくりを事例に』確かに考察は足りないし、グッとくるものがない。
性懲りもなく、黄金町のフィールドワークを続けます。継続は力なりを実証したいです。
児玉 智子
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