自由が丘の古本屋で、見開きに第五福竜丸の「大石又七」のサインを見つけた。
第五福竜丸をみたくて、夢の島公園に行く。
新木場駅に降りれば、材木屋が密集し、炎天下に木の香りが清涼剤となる。
森林に囲まれた夢の島は、バーベキューを楽しむ家族や日曜画家が点在し、ゴミ処分場からの悪臭や煙が問題になっていたことを思い起こせば、本当に夢の島となった。
ビキニ環礁に船出した木造マグロ漁船の乗組員は23人、大石又七さんは20歳だった。
1945年7月に原爆3個が完成、ニューメキシコの砂漠でプルトニウム爆弾の実験、広島にウラン爆弾、長崎にプルトニウム爆弾の実験をした。
アメリカとソ連の爆弾競争は激化、1954年3月ビキニ環礁の水爆実験「ブラボー」の黄色い光線が第五福竜丸に流れ込み、西から太陽が上がったような錯覚、2時間が過ぎたころにデッキに白い粉が積もり、体内に入り込んだが、熱くも臭くもなく、砂のようにジャリジャリするだけで味もない。
灰をかぶった日の晩から、頭痛や吐き気、目まいがあり、数日経つと顔が黒ずみ水ぶくれができ、乗組員のひとりが、その年に放射能症で亡くなった。
翌年、日米原子力協定が調印、見舞金が東海村への原子炉設置となった。
|