令和元年7月号
佐世保で海風を浴びたくなり港にむかい、自衛官や米軍基地で働く人に出会い、廃業跡の旅館を見ながら、「横須賀ストーリー」を口ずさむ。
裏道を登っていたら、四角い提灯に「つみきばこ」と書かれた古民家を見つけ、地元で働く人達の憩いの場らしく、美術品に囲まれながら、安価で懐石を味わうことができた。

梅雨湿りで溜まった洗濯物を横目に、遠藤周作『沈黙』を読み、つられるように、雨脚も激しくなってくる。
布教に敗北し、奉行から日本名をもらった宣教師は、「日本人は人間と隔絶した神を考える能力を持っていない。」「日本人は人間を美化したもの、人間と同じ存在をもつものを神と呼び、教会の神ではない。」と云います。

イエズス会は創設の頃より、布教地と駐在会員をローマ本部で一元管理し、布教戦略に反映させた。
宣教師による日本における適応主義政策は、布教許可と引き換えに、ポルトガル船は大砲など軍需物資を提供した。
しかし、秀吉の宣教師追放令や禁教は、キリスト教勢力による日本征服の脅威だった。
児玉 智子
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