平成24年4月号
原発作業員の線量管理のために放射線管理手帳があり、手帳がないと放射線管理区域に入れないことになっていて、内部被爆の検査結果や今までの作業場所などが管理されている。
管理内容は中央管理センターに登録され、一元管理されるはずだった。
浜岡原発内で作業をしていた人の証言に、エンピツで手帳に記載されていたこと、三ヶ月に一度あるボディカウンターの検査では「大丈夫」と言われるだけで、本人に数字を教えてもらえなかったこと、作業員が逃げ出したときには身代わり検査をさせることがあったという。
もう一つの問題点は、4次下請け迄あるとして、一次業者以外は保険に加入していないことがある。

高度成長を支えた釜ケ崎の寄せ場は港湾労働者を輩出した。
スクラップや有害薬品を船倉から埠頭倉庫に運び込み積み上げる荷役作業、オールナイトを強制された1960年後半、日雇い労働者の死者が多かったという。
労災で死んだ場合の補償金を親兄弟に渡したくても、釜ケ崎は身寄りがない人達の溜まり場だった。

当時の簡易宿泊所は寿町・山谷に続き、ゲストハウスに様変わりしている。
児玉 智子
令和
2年
令和
元年
平成
31年
平成
30年
平成
29年
平成
28年
平成
27年
平成
26年
平成
25年
平成
24年
平成
23年
平成
22年
平成
21年
平成
20年
平成
19年
平成
18年