平成28年10月号
無人島猿島で、横須賀のボランティアガイドさんに、軍事遺産の説明を受けた。
猿島の砂浜は、家族や友達が集まってバーベキューを楽しむ施設が完備されている。
大人数で騒ぎながら、島内を水着で散策しているのを横目で見ながら、水中写真に夢中になっていた頃、バンザイクリフやペリリューで、人生を謳歌していた自分を思い出した。

猿島は、幕末から太平洋戦争までの間、台場・要塞として利用されていた。
旧軍施設の兵舎や弾薬庫の内部は、漆喰が厚く塗られているので、空気がひんやりしている。
東京湾には、陸軍により26ケ所の要塞があった。
日清戦争では清国艦隊、その次はロシア艦隊の襲撃を想定し、帝都を守るため、湾内の千葉富津と神奈川観音崎を結ぶ線に砲台が設置されたが、太平洋戦争では、海軍が横須賀の敵機の襲来に対抗し、陸軍の要塞砲台は実戦で火を噴くことがなく終戦となった。

むのたけじさんは、敗戦の日に新聞社の記者を辞めた。
児玉 智子
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