山科に用があり、朝早く東京を出て、玉の輿伝説がある観修寺に寄った。
どこが玉の輿かというと、今昔物語集によれば、藤原高藤が雨宿りのため、弥益の家に寄り、娘に一目ぼれ、ついつい外泊してしまい、6年後に再会したら、列子に娘がいて、醍醐天皇の生母になったとされる。
これが玉の輿というのか?
ハワイの哲さんと旧海岸通りを走っていたら、「ともちゃんね、ここら辺はね、イエローキャブだったのよ!」と不思議なことを云っていたのを思い出す。
乃南アサ『水曜日の凱歌』、鬼畜米英の戦争が終わり、ぞくぞくと上陸するアメリカの占領軍、女子挺身隊は、日本中の女達が暴行されないように、国が慌てて建てた大森海岸の慰安婦の館で、働く。
鈴子の母は、英語ができたことで通訳から、マネージャーのような立場となり、街はパンパンで溢れるなか、中佐の愛人となる。これも玉の輿というのか難しい。
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