母がお世話になっている訪問介護事業の会社が吸収されケアマネージャーは退職し、同じ時期にデイサービスの責任者も辞めた。
ふたりとも福祉を仕事の場として選び、現場への思いが強かったので落胆し憤慨していた。
第二次大戦後に定着した福祉国家は、国家に所得再分配の権限が与えられた。
福祉国家は当初、重工業で労働する男性をイメージし、家庭内で無償労働する女性がいる家庭を想定していた。だから賃金喪失したときに現金給付をすれば、それが生活保障となった。
サービス産業が労働の中心となり女性が外で働くようになると、家庭内で福祉サービスをする女性が姿を消し、介護に第三者の人手を借りることがあたりまえとなり、介護はただ働きではないという常識ができた。
私は呪縛から開放され、母の介護を他人に依頼することで、夜遅くまで仕事をして赤じょうちんでストレス開放する日々を過ごすことができるようになった。
ケア労働は、ケアされる当人が、その労働を客観的に評価することができない複雑さがある。
そこに介護事業の困難さがあると思う。
責任者が交代して不慣れであっても、母は機嫌よく80歳の誕生日を迎えることができた。
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