平成23年10月号
脱原発デモ、6万人ともなり、やっと新聞に取上げられるようになった。
上海で仕事をしている友人から云われた。「なぜ日本人はちゃんと抗議をしないのか?中国人は投獄されても、訴えるじゃないか!」。その通りだと思う。
私は、デモ行進でなく、寄付することでもない、納得できる表現の仕方をずっと考えている。

『フクシマ論』開沼博は、福島にいる人達の取材を数年前から続けている。震災前に東電で働いていた調査対象10人全員が、東電に戻っていると聴く。仕事に戻れることで家族を養え、近隣の旅館や飲み屋も混んでいる。東京で「原発反対」と奇声を上げるのとは、生きる意味がちがう。
超微粒子を通さない防護服タイベックと除染作業中に配られていた食料を見せてもらった。
長い間、目に見えない放射性物質を相手に、作業を続けていられる自分、仲間にがん患者が急激に増えるとき、やっと怖さを実感するのかもしれない。

福島から京都の公営住宅に子供を連れて転居した女性が泣きながら語っていたことは「地元では、故郷を捨てるのかと罵倒され、関西では、震災が他人事で興味がない人も多く、いい思いをしていたのだから自業自得だ」とも、村全体で一ヶ所の集合住宅に移転すれば、手厚いサポートを受けられる住民もいると聞く。

癌を宣告された人の気持ちは、がん患者でないと判らないのは真実だが、ホスピスケアが効果的であることも事実だ。
児玉 智子
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