平成27年3月号
小学校のころ商店街でローラースケートをしながら抹茶ソフトを食べた武蔵小山、友達に送るお菓子を買って、猫がお寺で日向ぼっこをしているのが見えて入った朗惺寺で、慰霊碑を見つけた。

昭和12年に武蔵小山商業組合は結成されたが、衣類や食料が配給制になり、売る物はなくなり、18年には千人規模の開拓団が結成され、満州に移住する人も多く、組合は解散した。
開拓団千人のうち生きて戻ったのは百人にもならなかったという。
昭和20年の空襲で商店街は壊滅した。
対米開戦で官僚は軍需産業、武器工場に労働力を集中、ほかは廃業を迫った。

駅前の混沌とした小さな飲み屋が密集するところ、再開発され高層ビルが建つという。
どこも彼処も再開発、住む人がどこにいるんだろう。
児玉 智子
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