人の生活は、殆どが無意識に行われている。歯磨き粉を顔に塗ったり、靴の上から靴下を履いたりはしないようになっている。脳が機能していることはありがたいことだ。
母は最初の手術の翌週には横浜中華街を1時間歩き、海鮮おこげや春巻きを平らげたが、三週間後に記銘力低下と見当識障害が著しく、私のことをトリちゃんと犬の名前を呼ぶようになった。
CTを見て思う、あんなに脳の萎縮があれば血液や髄液も溜まるだろうと。
徳永医長は「もう少し様子を見る方法もある」という、私は「CTで血腫の場所が明らかなのだから、すぐ取り除きたい」と頼んだ。
先生は母の穿頭箇所に3cmの赤い印をつける。母は絆創膏をつけて待ち、1時間後には手術が始まり、一晩だけ排液チューブから排液を出し、「もう元気なんだから退院しなさい。」と言われた。
二度目の抜糸が無事終了、何かお礼をしたかった。
先生に「もう二度と来ないように。」と言われ、忙しそうに次の手術にむかった。
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