平成25年11月号
奥田英朗『オリンピックの身代金』を読みながら、昭和39年当時のことを思い出している。
小学校卒業前に早朝マラソンを強制的にやらされ、中学校のバスケ部でも走ることか出来ず、まだデブだった私は、生きる気力がないまま、寝転がってオリンピック中継をテレビで見ていた。
それも、競技のルールに興味を持たず、ただボゥと時間が過ぎていた。
覚えていることは、中原街道の工事の騒音とデブから脱却して男子生徒に優しくされたかった、こと。友達のお姉さんは、夕方になると頭陀袋を持って銀座みゆき通りに行き、早くその仲間に入りたかった。

東京五輪で敗戦国日本の復興は目覚しく新幹線もモノレールも武道館も出来て、俄か大都市トウキョウの体裁は整い、残るは、英語でリベートできるようになるだけだった。

昨年から確かに建設業が盛り返し、次のオリンピックを念頭に、建設現場はアジアからの出稼ぎが増え、日本のオタク少年は数日で辞めていく。
オリンピック選手用宿舎がどんな老人ホームに変容するか、変幻自在な力がある日本の建設業を信頼したい。
児玉 智子
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