平成19年06月号
奈良大宇陀は江戸時代初め、織田信長の次男信夫が城主になってから城下町が形成され、宮廷の薬猟の地とされた。
古代の薬は天然の草根木皮、日本書記に大国主命が療病の方を定めたとあり、大国主命を薬祖神とする謂われである。
500年代に仏教がわが国に渡来し、漢方医術と薬物が入ってきた。聖徳太子は「薬草が民のため必要な物」だと天皇に進言、611年5月5日に天皇が宇陀で薬狩りしたことが、現在の菖蒲の節句の始まりとされる。
文武天皇は700年代に大宝律令を制定、薬園師の官が学生を教育し薬の研究が行われ、当時から葛城や吉野が修行の地であった。
和同以降大衆に通貨が普及してから、薬が売られるようになった。
吉野朝廷(1336年~1392年)は経済力が低下すると、寺院の再建や庶民の生計のために売薬経営に力を注ぐようになった。

小雨のなか、江戸中期に開設した森野旧薬園のぬかるみを歩く。
以前は60件あった薬屋もシャッターに閉ざされている。
栄枯盛衰は、しっとり肌寒い。
児玉 智子
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