平成20年3月号
母は四人兄弟姉妹の末っ子で、4人のおしゃべりを聞いていると、面白いことがたくさんある。
たぶんコトバを理解したり、気持ちをコトバで表現することは、其々衰えてきているんだろうけど、子供だったころの思い出話となると、目が生き生きとして声が大きくなる。
母の家族は洗足池に住んでいた。昔は池に氷がはってアイススケートを、桜山に雪が積もるとスキーをしたという。
田圃の灌漑用水の役割を果たしていた洗足池、今は地域住民の憩いの場として、大田区が公園整備の維持にあたっている。
東京では洗足風致協会と善福寺風致協会のふたつが活動を続けているという。
私はボートハウスを運営する協会事務所で60周年記念誌『洗足池』を譲ってもらった。
母の兄弟4人がもつ洗足池に対する身体の記憶が、どのように違うんだろうと簡単に思っていた疑問が、風致協会の運営者それぞれが持つ、身体の記憶を維持させたい気持ちに反映されるんだなと、非営利団体の運営維持がすごく難しいと、ここでも実感した。

雪のなか、ただ一つ残る湧水を見つける近所の探検、あったあった清水窪弁天様。
児玉 智子
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