老学生のつぶやき

令和6年1月号
修士論文「開港場横浜性産業の変遷」を纏め、社会政策学部に移籍した。
主査の教授から『社会学感覚』を貰い、フーコー『知への意志』を和訳すれば、左目の球が痛くなって、玉転がしの方法を身体が受けとめる、もう少しするとその感覚が掴めそうな気がしてくる。
調査の場が、曙町の親不孝通りから全国の介護施設に変わり、そのなかで働く人びとは日々奮闘しているのだから、通底しているし、性の問題はどこにでも転がっている。

事務所を閉めてから暫らく仕事で関わっていた人と会わずにいたが、フロム『愛するということ』を読んで、ブルシットジョブを辞めた私は誰とでもお茶を飲むようになった。
15年ぶりに訪れた宮古島、当時お世話になった精神科医の下地先生から「クバの杜プロジェクト」に輪が広がり、炎天下に御嶽の周りにクバを植えた。苗ごとに名札をつけた私のクバは14本、そして「マブイグミ」をして生き直す。
介護施設にいる「おじいおばあ」の顔つきが15年前といっしょなのは、風土もあるがケアスタッフも穏やかに過ごしているからだろう。

昨年嬉しかったことのひとつ、曙町で働いていたあおいさんから連絡があったこと。奨学金を返済し大手IT企業で働き、ふたりの家を建てたという知らせ、今年も仲良く暮らしていくんだろう、と思う。
ふたつめ、西アフリカを旅したしゅうめいさんと平野君の再会、ふたりとも重たいカメラを担いで、放浪の旅を続けている。

今年もお年寄りに人気のリハビリセラピーやっていきます。
児玉 智子
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