京都木津川を南に下った奈良県境あたりを歩き、こんもりした茶畑を越えると、花崗岩の岩肌がみえ、石仏が点在する。工業団地が近く、大阪のベットタウンとして瀟洒な家も多い地域なのに、畦道を登っていけば顔が潰れかかった石仏に出会えることが不思議だ。
平安末期に南都の焼き討ちで、東大寺の大仏の頭が転がり落ち、鎌倉時代に再興のため来日した南宋・浙江省から技術者集団を招聘した。
そのときの石大工や子孫が製作したといわれ、中国伝統の技術が引継がれているという。
ボランティアガイドさんの話、浄瑠璃寺に近い山の中で畑をつくっているが、いのししに食い荒らされて全滅したという。
無人売店で、釘にぶら下がった万願寺の袋を、持ちきれないほど買って、貯金箱に300円を落とした。
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