ホイアン 絞り8
- Hoian Aperture 8 -
15年ぶりの成田、ベトナム航空に乗れば、座ったとたんに「無断で機体の扉を開けると2千万ドンの罰金」というアナウンス、天丼か親子丼にちかい響きが、親しみやすい。
17世紀、ホイアンは外人居住区がつくられ、治外法権を許したため、日本町が誕生した。
日本人は鎖国政策が実行されるまで、徳川幕府による朱印船で東南アジアを30年間渡っていた。
日本町は衰退し、明の滅亡などで、多くの中国人がベトナムに移住した。1874年と1917年に日本橋は修復され、チャンフー通りに日本町はなくなっても、フランスの植民地化された時代に、華人街の中華会館、福建会館は姿を整え、現存している。
大晦日にトゥボン川沿いで観光客が大騒ぎ、新年夜明け前から住民はラジオ体操をする。
裏窓から腕や足がない人が座っているのが見え、ベトナムは考えさせられることが多いと気づく。
キントン湾事件後の1965年3月、沖縄に駐留していたアメリカ海兵隊がダナン国際空港近くの海に初上陸、今でもダイオキシンで汚染されている地区では、井戸水を飲むことが出来ないそうだ。
カメラを寄付したため、慌ててコンパクトカメラを購入、絞りを8に合わせたまま、操作方法が判らない旅だった。