■ 宮古島ともコハウス

2007年10月

いっときシーサー職人になりたくて、沖縄中のシーサーを見て廻ったことがある。
諦めるのは早く、私の好みのシーサーは屋根造りの職人がつくるもの、赤瓦を砕き漆喰でかためたシーサーは、屋根が出来上がったときの職人の功績となる。

獅子がシーシーとかシーサーといわれ、民家の屋根の上に置かれるようになったのは、明治以降に瓦葺きが許されるようになってからで、それまでの庶民は茅葺の家に住んでいた。
宮古県庁は明治26年に設置されたが、当時の平良市街ほとんどが木造茅葺の粗末なもので、頻繁に大火事があった。
シーサーが魔よけをしてくれなかったからか、西里商店街は連年する大火にこりごり、大正時代にはいって次第に瓦葺建築となり、類焼を防ぐため道路幅も拡張された。
残念なことに、宮古島で私が好きなシーサーに出会うことが少ないのはどうしてだろう。