■ 宮古島ともコハウス

2007年07月

漲水御嶽あたりを歩いていると、廃業した旅館や料亭の面影がしっとりした寂しさを残す。
明治中頃、漲水港に出入りする船舶の船乗りを相手にはじまった一杯飲み屋が料亭に発展、カツオ節や黒砂糖景気にわく島民の利用も増えた。
昭和に入り20軒ほどあった料亭の日常会話は沖縄本島方言、三味の音といっしょに流れる歌も本島か八重山民謡だったそうです。
戦後の黒砂糖ブームにのって40軒までふくれあがった料亭はバーやキャバレーにとってかわり、今の西里地区は閑散としていて、壊れたネオンサインだけが影を残す。