■ 宮古島ともコハウス

2006年11月

母の脳が壊れたとき、沖縄で出会ったユタを思い出し、思い出した次いでに自分の終の棲家は宮古と考えるようになりました。
こんなに台風ばかりあるところで、私は癒されるのか、はたして静かな時間を過ごせるものなのか、静かな時を経験したことがない自分に気づいたりもする。
下地ドクター、杉山ドクター、看護師の上地さん、高岡君や佐々木夫婦に助けてもらい、少しずつ、ゆいまあるディープになっていきます。
宮古には魅力的な雰囲気の女性がたくさん住んでいて、それも朝早くから寝るまで、ずっと働いています。
私は久しぶりに人力車の佐々木さんに会うために、城辺(ぐすくべ)の丘を運転していました。 太陽が眩しい午後2時過ぎ、畑の中で赤い帽子が動くのを見つけました。 根間美代さんは、毎日、午前中はパートで働き、午後は畑仕事をしています。
美代さんとおしゃべりをしていると、南アジアを旅しているような気分になり、ゴーギャンがタヒチに楽園を求め、移り住んだ理由が納得できます。